さようなら、憂鬱な木曜日

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さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

「有名人を見るとサインをもらいに群がる行為」が理解できない

生活 生活-有名人のサイン

街や空港で、スポーツ選手や芸能人が一般人に囲まれて、サインをねだられている光景を、テレビなどでよく見る。ありふれた光景だ。彼らは、有名人を見ると、とにかくサインをねだる。まるで、それが挨拶であるかのように、「サインください」とせがむ。

私はこの光景を見ると、毎回思う。サインってそんなに欲しいですか

サインをもらう行為には、大きく分けて2種類のパターンがあると思う。

1つは、本当にその人の大ファンで、その人のサインが欲しい場合。

もう1つは、別に対してファンでもないけど、有名人が近くにいたからとりあえずもらっておく場合。

私は、正直どちらの行為に対しても疑問を感じてしまう。

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印象的な出来事が思い浮かぶ。

私が小学生の頃、一部地域の子供たちが集まって、割と大規模な何かしらのイベントが開催された。いったい何をやったのかは忘れてしまったのだが、そこにある有名人のgストが来た。

若い人はわからないかもしれないが、昔少しテレビに出ていたケント・デリカットさんという外国人タレントだ。

私にとって、生で見た初めての有名人は、このケント・デリカットさんかもしれない。ケントさんに対して特別な思い入れがあったわけではないが、テレビで見たことのある人が目の前にいるというのは、なんだか変な感じがしたのを覚えている。

とにかく、我々の前にケント・デリカットさんが現れて、そのイベントで何かをしゃべって、イベントは終わった。

イベントが終わると、会場の出口に人だかりができていた。

何かなと思って行ってみると、大勢の小学生たちがケント・デリカットさんを囲んでいた。彼らは「サインください!」と言って、紙とペンをケントさんに差し出していた。

私はこの光景に、強烈な違和感を感じたことを今でも覚えている。

「(お前らは、ケント・デリカットのサインを本当に欲しいと思っているのか?)」

私には、彼ら同年代の小学生たちが、「有名人を見たらとにかくサインをもらう」という常識にとらわれ、それを演じているように見えた。心からケントさんのサインを欲しいと思っている子供がどれほどいただろうか。

ケントさんに罪はない。ケントさんにカリスマ性がないとか、人気がないとか、そういうことを言っているわけではない。

しかし、子供たちが、当時のケントさんに対して、心からサインをもらいたいと思っていたとは、到底考えられないのである。

彼らは、「有名人にサインをもらう行為」を通して、少し大人になったつもりでいたのではないだろうか。

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サインをもらいに群がるのは、子供だけではない。

大人だって、社会人だって、有名人を見たら、まるで刷り込まれたかのようにサインをせがむ。

サインください、サインください、って。あのさぁ。もらってどうするの?

私は、「サインをもらう」という行為がまったく理解できない。

私にだって、大好きなスポーツ選手や芸能人はいる。

例えば、イチローや本田圭佑や爆笑問題は、もうずっとずっと好きで、大ファンと言っても過言ではない。

しかし、私は、彼らを目の前にしても、サインをもらいたいとは思わない。話しかけられる距離や空間にあっても、サインをねだろうとは思わない。

なぜ思わないのか?それは、サインをもらうという行為に何の意味もないからだ

もしかしたら、一部の人は、もらったサインを大切に保管して、良い思い出になるのかもしれない。

「俺ぁ子供の頃、ケント・デリカットにサインをもらったんだよぉ。ほらこれ見てみ」

と言って、自分の子供に自慢話でもするのかもしれない。そういう人は、それでいいのだろう。

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そもそも私は、例えば大ファンの人であっても、そもそも会いたいという感情がない。会いたいと思わない。

東京事変に「スーパースター」という曲がある。

この曲の歌詞は、椎名林檎さんが、メジャーリーガーのイチローを想い書いた歌詞である。その一部を引用したい。

私はあなたの強く光る眼(まなこ)思い出すけれど

もしも逢えたとして喜べないよ

か弱い今日の私では厭(いや)だ

明日はあなたを燃やす炎に向き合うこゝろが欲しいよ

もしも逢えたときは誇れる様に

テレビのなかのあなた

私のスーパースター

私はこの曲を聞いたときに、泣きそうになってしまった。

おこがましいことだが、私は椎名林檎さんがイチローに想うようなことと同じことを思っている。

私が好きな人や尊敬する人に会いたくないのは、「自分がまだその人に向き合えるほどの人物になっていない」ということの証左なのだろう。

だから、もし近くにいても、会ってもどうしようもないし、ましてやサインをもらうという行為など無意味どころか、自分の価値に限界ラインを引いてしまって、それ以上その人には近づけないと自らが烙印を押していることに等しいと感じている。

だから、椎名林檎さんが、イチロー選手に対して思っていることは痛いほどわかるし、この曲は、私の心の中にすっと入ってきて、感情を揺さぶったのだ。

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それと同時に、私はイチローや爆笑問題に、死ぬまで会えなくたっていいと思っている。

私とイチローや爆笑問題の距離感は今のままで良いと思っている。別に、近づかなくたっていい。会えなくたっていい。話せなくたっていい。今のままで十分だ。

今のままでも彼らは私の生活の中で、すごく重要な位置を占めているし、生きる活力をもらっている。彼らの生き様を見たり、プレーやTVやラジオでの姿を見るだけで、頑張ろうと想える。落ち込んだ時に爆笑問題のラジオを聴くだけで、ヒットを打つイチローを見るだけで心がすっと晴れる。

それだけで、十分なのだ。私は、その距離感が壊れてしまうほうが怖い。サインなんて全然いらない。

Android教だった人間がiPhone7に機種変更してみて感じたこと

生活 生活-iPhone7

私のスマホデビューはサムスンのgalaxyシリーズだったのですが、それ以来私は機種変更をしながらもずっとAndroidのスマホを使ってきました。

直近の端末はXperia Z3 compactで、Androidの中でも名機と言われるこの端末をかなり気に入っていました。特に、機種変更をするつもりも予定もありませんでした。

 

突然起こった自らが招いた事件

しかし先日、ある事件が起こりました。

Xperiaのバッテリー性能が衰え、早朝に100%充電しても、夕方くらいにはナッテリーがなくってしまう状態になってしまっていたので、私はバッテリーを交換しようと画策しました。

ここで、業者やショップに頼んでバッテリー交換をしてもらえば良かったのですが、私は自分でバッテリーを買って、自分で交換しようとしました。バッテリーなんだから、裏パネルをパカッと開けて、入れ替えればいいんでしょ、という認識でした。しかし、Xperiaの構造は素人が簡単にバッテリー交換できるような構造ではなかったのです。それに気づいたのは、ネットで注文した新品バッテリーが到着して、裏パネルを開けようとした瞬間でした。

機種によっては、簡単に交換できるものもあるかもしれません。しかし、Xperiaの裏パネルは強い粘着テープによって保護されており、鋭利なもので隙間からこじ開けないと、開かない構造になっていました。

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とにかく引っ込みがつかない私は、家じゅうのドライバーやら安全ピンやらを駆使してなんとかバッテリーを取り出し、新しいバッテリーをはめ込みました。

そして、一仕事を終えた満足感から熱いコーヒーを淹れて、一服しました。

やれやれ、素人が慣れないことをするもんじゃない、次からはちゃんとショップに頼もう。そして、Xperiaを起動してみました。

Xperiaは死んだまま、じっと黒い画面を映し出すのみでした。どうやら、裏パネルをこじ開けるときに、パネルの下部にある基盤の何かしらを傷つけてしまったようでした。

私は傷ついたXperiaを前にして、悲しみにくれました。私は何ということをしてしまったんだ。愚かな自分を責めました。まさに馬鹿者としか言いようがありません。

 

意識の深層に眠っていたiPhone7

しかしながら、私には、悲しみに打ちひしがれている時間はそんなに多くありませんでした。

自分にとってのメインの連絡手段であるスマホが起動不能になってしまったということは、私に連絡を取ろうとしている人は、連絡手段がないということになります。

多くの人と同じように、 私の連絡手段は電話とLINEです。スマホがないということは、どちらも使えない状態ということです。

私は頭を切り替えて、新しい端末を買おう、と決めました。そして、そういう考えになったときに、思い浮かぶ端末は、iPhone7しかありませんでした

ちょっと前まで私はiPhoneに対して、そこまでの好意を持っていませんでした。みんな持っているな、ぐらいの感覚でしかなく、アップル教と呼ばれる人たちの気持ちは、よくわかりませんでした。iPodは使っているけれど、MacはWindowsと勝手が違いすぎるし馴染めませんでした。

だから、「iPhoneの新作登場」とかメディアが煽っても、特に魅力を感じるということはなかったのです。

しかし、そんな私の気持ちを変えたのは、iPhone7でした。

1か月ほど前に友人に会った時のことです。彼が使っていたiPhone7を手に取って見たとき、そのフォルムに心を奪われました。もう、そのデザインがすべてでした。今までのiPhoneも見てきましたが、ちょっとこの端末は違うぞ、と。

(詳しい人に聞いてみると、iPhone6と7の間に、デザインの大きな違いはないそうです)

でもその時は、私にはXperiaがいたので、別にすぐに心移りするわけではなく、ただ「美しいフォルムの端末だな」という感想が生じただけで終わりました。

しかし、その気持ちは、意識の深層に強く根深く残っていたのだと思います。

だから、Xperiaがもう動かなくなって、修理するか新しい端末を買うかしか選択肢がない、となったときに、「iPhone7を買おう」という決断になんの迷いもなく進んだのだと思います。

そこからは、もうあっという間でした。その日のうちに、アップルのサイトで、ネットからiPhone7(ゴールド)のSIMフリーを注文して、その2日後にはiPhone7が自宅に到着しました。

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AndroidからiPhoneに移行してみて感じた事

iPhone7は私にとって、初めてのiPhoneです。GoogleとApple、AndroidとiOSには明確な文化の違いがあると感じています。

iPhoneを数日使ってみて、私自身カルチャーショックを受けた部分がありました。

ここからは、そのあたりのことについて、良かったことも悪かったことも、思いつくままに書いていきたいと思います。

 

Google日本語入力が使えない

Androidの頃には、文字入力ソフトとしてGoogle日本語入力を使っていました。これは、ビッグデータで集めたデータを基に、ユーザーが変換したいものにより近づけるような入力補助をするソフトで、PCでも私はGoogle日本語入力を愛用しています。

しかし、iOSではGoogle日本語入力は使えません。はっきり言って、かなり不便です。 悲しいです。Google日本語入力を使いたいです。

もともと入っている文字入力では使い物にならないので、Simejiという文字入力アプリを使っています。(中国産なのがちょっと嫌です)

追記:多くの方から忠告を頂き検討した結果、Simejiを使うのはやめることにしました。

 

文字入力のカーソル移動が独特

Androidの時の文字入力というのは、例えばちょっと戻って文字を挿入したい場合は、その部分をタッチしてカーソルを移動させていたました。あるいは、←→カーソルで目的の位置まで移動させていました。

iPhoneはこのカーソル移動が独特で、一度画面を長押しして、虫眼鏡みたいなモードになってから、指をドラッグして目的の位置まで持っていくという作業が必要になります。

これはちょっと慣れるまで時間がかかりそうな予感です。

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充電プラグが上下関係なく挿せる

AndroidのスマホとiPhoneは充電のプラグ規格が違います。

Androidの充電は、差込口に上下の区別があり、iPhoneには上下関係なく、どちらでも差し込めます。iPhoneの規格はかなり便利です。

Androidの時は、上下を逆に挿して歯がゆい思いを1日1回はしていました。小さなストレスですが、積み重なると正直きついです。上下逆に挿すことで、挿入口を痛めつけてしまっていました。

iPhoneの場合は、そんなことは気にせず、ズバっと挿し込めます。ノーストレスな充電ライフです。

 

デザインが美しい

私は友人のiPhone7を見たときに、一目で「美しい」と思いました。それほどデザインが洗練されていると感じました。

さんざん言われているととですが、スマホはもはやアクセサリーです。洗練されたデザインのアクセサリーを持つことは、たとえ男性であっても気持ちが高揚します。

特に、私はゴールドの色合いが好きです。そして背面に光るりんごのマーク。美しいです。

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動きがめちゃくちゃ早い

これはiPhone7に限ったことではないのかもしれませんが、XperiaZ3 Compactからの使用感の比較で言うと、動きがすごいサクサクです。

スマホというのは使えば使うほど余計なアプリを入れたりして、動きが遅くなるものですので、Xperiaも新品の状態ならもっと早かったと思うのですが、それでもここまで早いと感動します。

この点について、ちょっと調べてみたところ、AndroidとiPhoneでは、同じアプリでも使用言語が違うようなのです。AndroidはJava、iPhoneはObjective-CというC言語を拡張したプログラミング言語で作られているようです。

Objective-Cの方が実行速度が速いので、iPhoneのサクサク感はその影響もあるのだろうと思います。

 

結局iPhoneにもGoogleのアプリをインストールして使っている

私はXperiaで頻繁に利用していたアプリは、GmailやGoogleカレンダー、Googleドライブ、Googleフォト、GoogleKeepなど、Google社のアプリばかりでした。

おそらく、Apple社のアプリでも、同じような機能を持ったアプリはあるのでしょうが、これらのアプリに慣れてしまった今となっては、移行するのは難しいです。

だから、iPhone7にもGoogle社のアプリをインストールしてそのまま使っています。

今のところ、何の支障もありません。

 

総括

突然の惨事から不意にiPhoneを持つことになったわけですが、少し使ってみて、すでにiPhoneを使う人たちが、なぜiPhoneを愛するのかが、少しだけわかった気がします。

結果的にiPhone7にして良かったと思っていますが、私はこれまで自分のスマホ生活を支えてくれた歴代のスマホ、特にXperiaZ3とAndroidというOSに対する感謝は非常に大きいものがあります。

私の生活を何不自由なく支えてくれた、言ってしまえば、1日の中で誰よりも長い時間共に過ごしていた相棒ですから、失ってしまうのは非常に悲しいです。

AndroidとXperiaZ3に敬意を表して、この記事の結びとさせていただきます。