さようなら、憂鬱な木曜日

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花巻東高校千葉翔太選手のカット打法問題について 「相手の嫌がることをする」というのはこういうことではない

スポーツ・エンタメ

今年の甲子園で最も話題になったのは、花巻東高校(岩手)の千葉選手であろう。
二塁ランナー時におけるサイン盗み疑惑とともに、投球を故意にカットしてファールにするプレーが問題となった。大会本部と審判部は準々決勝後にこのファウル狙いは規約に抵触する可能性があると判断し、花巻東高校に通達を出した。千葉選手は準決勝においてはこのカット打法を封印し、花巻東は延岡学園(宮崎)に敗れた。

 

■勝負を避けているカット打法は相手に対して失礼
私はこの千葉選手のプレースタイルについて、否定的である。
野球におけるカット技術というものは、難しい球をファールし甘い球を待つためのものである。投げる前からファールにしようと意図してされるべきものではない。球数稼ぎや四球を狙っているのだろうが、これは、相手投手との勝負を避けていることに他ならない。「このカット技術を磨くために必死に練習してきた」というのであれば、努力の方向が間違っている。

 

■「相手の嫌がることをする」というのはこういうことではない
よくスポーツや勝負の世界では「相手の嫌がることをする」というのが定石とされている。しかし、それは、例えばインコースが苦手な打者に対してインコース攻めをするだとか、走塁で相手投手を揺さぶるとか、そういうことだ。このカット打法はルールに抵触するかどうか以前に“アンチ・ベースボール”なプレーである。テニスで言えばサービストスを何度もやり直したり、サッカーで言えば時間を稼ぐために攻める意思もなしにずーっとディフェンスラインでパス回しを続けるようなものだ。

 

■本当に非難されるべきは指導者である
私はこのカット打法が話題になった時、「指導者は何をやっているのだ…」と思った。生活の大半を野球に費やすであろう高校球児にとって、野球を通しての人格形成は不可欠である。それなのに、このような「ルールの範囲内なら何をやってもOK」という指導は断じてするべきではない。正々堂々と勝負することの大切さをしっかりと教えるべきだった。インフレ化した甲子園ブランドの中で「勝つためならなんでもする」という風潮は、非常によくない。

 

■大会本部と審判部への対応を批判する世論に違和感を覚える
カット打法を実質禁止した対応について、大会本部と審判部への批判をよく目にした。「言うならもっと早く言え」「高野連は千葉くんの努力を否定するのか」などといった批判である。
私は、そんなことをわざわざ通達しなければならないのか? と感じる。スポーツというものは正々堂々とした勝負であるべきだ。特に高校野球はプロではないのだから、なおさらである。正しい倫理観を持って向きあえばわかることなのに、それをわざわざ言わなければわからない。そんなイベントと化してしまった甲子園に対して、ただただ悲しい思いでいっぱいある。