さようなら、憂鬱な木曜日

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さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

なぜランドセルは無償支給ではないのか 一部の子供がリュックサックで登校している現実

生活

朝、通勤途中に道路を歩いていると、小学生低学年であろう集団が、列になって登校していた。最近は色々物騒なので、集団登校集団下校が一般的になってきたのだろう。とはいえ、朝から楽しそうな小学生たちを幸せな気持ちで見ていた。
そのとき、ちょっと気にかかることがあった。数十人いる小学生の中で、たまーにランドセルではなくリュックサックを背負っている子がいるのだ。私はこの現状を見て、複雑な気持ちになった。その子たちの家庭が金銭的に余裕がなく、ランドセルを買えずにその子がリュックサックで登校しているとしたら、これほど残酷なことはないと思った。

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■「○○くんはなんでランドセルじゃないの?」
ランドセルというのは安くない。平均購入価格を調べてみると、約4万円だそうだ(ソース:ランドセルNAVI)。個人的な感覚で言えば、6年間使うものだから、長期的な目線で見れば4万円でも高くはない買い物だし、子供のめでたい小学校入学祝いと考えれば、購入へ踏み切ることにそこまで弊害はないように思えるが、4万円だって出せない家庭はあるだろう。母子家庭だって増えてきているし、最近は、給食費も払えない家庭もあるとニュースになっていた。

しかし、ランドセルを買ってもらえずに、リュックサックで登校する子供からしてみればどうだろう。小学生ぐらいの子供は、他人と少しでも違うことがあれば、すぐに指摘し笑いものにする。
「○○くんはなんでランドセルじゃないの?」
「○○くんの家は貧乏だからランドセルが買えないんだよ」
こんな会話が教室の中で繰り広げられるのは容易に想像できる。
ランドセルを買ってもらえない子供は、クラスの中でどれほど嫌な思いをしただろうか。まだ物心ついて間もない頃から、家庭環境の現実を突きつけられて、その心に負うダメージはどれほどだろうか。私は想像するだけで涙が出てくるくらい苦しい。

だからこそ、せめてランドセルだけは、すべての義務教育を受ける子供に、国や地方自治体が一律に支給してあげてほしい。
ランドセルは毎日使うものだし、非常に目立つものだ。私が小学生のときに、同級生でボロボロのお古を使っている子もいたが、そんな状況もなくしてほしい。小学校に入学したら、無償支給の教科書と同様に、ピカピカのランドセルも支給してあげることはできないのだろうか。

 

■ランドセルをもしも国が無償支給するとしたら?
文部科学省のデータによると、2015年度の国公立の小学校の入学者数は約108万人だそうだ。このすべてに4万円のランドセルを支給するとなると、毎年約432億円の財源が必要となる。
参考までに、平性27年度における我が国の国家予算の内、『文教及び科学振興費』は5兆3,613億円。そのうち、教科書の配布などに充てられる『教育振興助成費』は2兆3,716億円だった。

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(出典:国税庁ホームページ

ここで、このようなデータを持ちだしたのは、432億円という数字が、国家予算の中でどれくらいの存在感を放つかということをイメージしてほしかっただけである。
ちなみに、教育振興助成費の内訳もチェックしてみたが、一瞬で無駄な支出だなとわかるような項目は見受けられなかった。
とは言え、国立競技場の建設に2,000億円がつぎ込まれるといったようなニュースが報道された昨今、本当に使うべきところはどこなのか、と考えてしまったりもする。私が調べた限りでは出てこなかったが、議会レベルでも「ランドセル無償支給案」というのは議論されてこなかったのだろうか。

このデータを調べてみて、432億円というのは、思っていたよりインパクトがあるな、という印象である。

 

■伊達直人にもらえなかった子どもたち
何年か前、伊達直人が児童相談所や養護施設に匿名でランドセルを寄付し、話題になったことがある。動きは全国的に広まり、タイガーマスク運動と言われ社会現象となった。
私はあのニュースを見ていた時、とても心温まるニュースだな、と思ったと同時に、伊達直人にランドセルをもらえなかった子どもたち、のことを考えてしまった。あのランドセルが、その施設の子どもたちよりも少なくて、例えば抽選などで子どもたちに支給されていた場合、抽選に外れた子供はやはりリュックサックのまま登校しなければならなかったのだろうか。

 

■自分の家庭を理解するのはもう少し先でいい
結局のところ、私が言いたかったのは、小学1年生という多感な時期に、家庭環境を反映させ、他人と区別できてしまうようなシステムをなるべく減らして欲しい、ということだ。杞憂であればそれはそれでいいのだが、もし私がランドセルを買ってもらえなかったなら、おそらくそれは一生忘れられないと思う。
成長するに従って、自分の家庭の財政を把握するのは避けられないことだし、必要なことだと思う。しかし、それはもう少し後でいいのではないだろうか。小学校低学年の頃くらい、何も考えずに無邪気に遊んでいて欲しい。
そんなことを朝の通勤途中に思った。

 

 

※茨城県土浦市では、小学生へのランドセル無償支給がなされているらしい。しかし、デザインがださい、と保護者から苦情が来ているよう。問題は尽きない。

意見・提案 教育・文化2 新入学児童への入学祝い品のランドセルの見直しについて | 土浦市公式ホームページ