さようなら、憂鬱な木曜日

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さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

「その目標は無理だね」とは絶対に言うべきでない 意識の低い者は高い目標を掲げる人の邪魔になる

生活

先日、録画していたTBS情熱大陸を見ていて、少し気になるシーンがあった。

その回は、ダブルダッチという縄跳びを2本使って飛ぶパフォーマンスで世界を股にかけるNOBU(敬称略)という人がフィーチャーされていた。彼は、6人ほどのチームを作って、シルク・ドゥ・ソレイユの公演などでパフォーマンスをしている。

問題は、NOBUが次回公演に向けて、チームミーティングをしていた時のシーンだ。彼はリーダーとして、「80公演中60公演をパーフェクトに演じる」という目標を明文化して掲げた。これに、メンバーが反発したのだ。「え!?無理っしょ」「前回公演の成功率4割だよ?」などと言って、リーダーの掲げた目標を否定した。NOBUははじめ、「なぜ前回の実績と比べる必要があるのか」などと反論したが、さらに他のメンバーからも「数値目標いらなくない?」などという声が上がって、結局その目標は立ち消えてしまった。

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■パーフェクトを目指さずに、プロと言えるのか
私はこのシーンを見て、強い憤りを感じた。なぜ、高い目標を掲げる人の邪魔をするのか。全く理解できない。
確かに、80公演中60公演(成功率75%)というのは、彼らの今までの実績からしたら、桁違いな数字なのかもしれない。しかし、そこを目指さないでどうするのだ? プロとして、ミスを受け入れながらパフォーマンスするのはわかる。しかし、ノーミスを目指さずに、それでもプロと言えるのだろうか? 私は、NOBUが掲げた目標は80公演中80公演パーフェクトでも良かったと思う。

 

■本田圭佑が掲げた「ワールドカップ優勝」
私は、ブラジルW杯の時に、本田圭佑が掲げた目標を思い出した。彼は、かなり早い段階から「目標はワールドカップ優勝」と大々的に宣言していた。そうすることで、自己を追い詰め、鼓舞しているようにも見えた。
しかし、彼の掲げた目標に対して世間は冷ややかだった。「非現実的だ」「無理に決まっている」など街中で囁かれ、スポーツニュースのコメンテーターも否定的だった(残念ながら代表選手の中でも否定的な意見があった)。
私は、ワールドカップ優勝という目標に対する否定的な意見を聞くたびに、呆れた。本田圭佑は、プロとして当然の事を言っているだけだと思った。
確かに、ブラジルやドイツやイングランドは強く、勝つことは難しい。しかし、予選を突破し、32カ国しか残っていない中で、優勝を目指さないでどうする? 1%でも可能性があるならば、優勝を目指すことなど当たり前なのだ。ベスト4を目指して何になるというのだ。ベスト4やベスト8も素晴らしい業績だが、それは結果としての話だ。試合が始まる前から負けることを想定して入ること自体が全くおかしいのだ。

 

■目標は計画やノルマとは違う
目標は目標であって、計画やノルマとは違う。
例えばこれが、計画であれば話は変わってくる。企業がIRで出す業績予想に、夢のような数字を掲げるのは問題だ。ノルマであれば、現実的な数値を設定しなければならない。しかし、目標というのは、そこを目指して突き進むべき最終的なゴールだ
例えば、本田圭佑が「ワールドカップ優勝」という目標を掲げ、それが達成できなかったことについて、その目標を否定してた人間たちは何か著しい損害を被ったのか?
確かに、落胆した人は多かったと思う。「本田は大きなことを言ってたけど結局だめじゃないか」と言う声も多かったと思う。それは、目標を掲げた本田自身が受け止めるべき苦言であって、彼にはその責任がある。しかし、外野は果たして、彼の目標を否定する意味はあったのか。彼の高い目標を否定して、現実的な自分に酔いしれたかったのか。

 

■高く目標を持てないのならば、黙っていて欲しい
高く意識を持つ人を見ると、ちょっと嫌悪感を示す人がいる。私もそういう人がいるのは理解しているし、別に同じ意識を持てと強要したりはしない。しかし、そうであるならばせめて、意識の高い人の邪魔をしないで欲しい。高く目標を持てないのならば、黙っていて欲しい。どうしてわざわざ雑音を発する必要がある。
往々にして、成功する人というのは、そういった愚かな外野の声にはへこたれず、それでも高い目標を達成してしまう。しかし、すべての人がそうではない。
意識の低い人間の一言が、成功できたかもしれない可能性を潰してしまうかもしれない。