さようなら、憂鬱な木曜日

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

良い文章を書きたいのなら、スマホとパソコンの電源を切りなさい/高校生の頃にライター弟子入りを断られた話

ブログ エッセイ

今から約15年前、高校生だった私には尊敬する雑誌ライター*1がいた。その人の書く文章に、何度も何度も心を揺さぶられ、泣いて興奮して、また泣いた。その人が書く雑誌は発売日に絶対チェックして、過去の著述も貪るように読み漁った。
いつしか、彼のような文章を書く人になりたいと思って、今となっては赤面ものだが、メールで弟子入り志願をした。お断りの内容とともに、こんなメールが返って来た。

「私には、弟子をとるような甲斐性はありません。悪しからず。
 僭越ながら、アドバイスさせていただくと、
 たくさんの本を読んでください。
 たくさんの映画を読んでください。
 いろんな人に出会ってください。
 そして、好きな女の子のことでもいいので、たくさん考えてください。
 それが、きっとあなたの血肉になります」

f:id:goodbyebluemonday23:20151102232412j:plain

当時は断られてちょっと落ち込んだけれど、それから私は、たくさんの本を読んで、たくさんの映画を見た。数人の女の子と恋愛をして、いろいろなことをたくさん考えた。悩んで苦しい時もあった。けれども、本や映画や女の子のことを考えたことは、今となってはかげがえのない財産になった。あの時がむしゃらにインプットして頭のなかでぐるぐる回し続けた色んな物が、現在の私を構成する重要な要素となっているのは間違いない。

結局のところ、私が弟子入り志願したライターの方が言いたかったのは、「良い文章を書くためには、文章のことを勉強したって仕方ない」ということだったのだと思う。私が彼に弟子入りしたとして、私は彼のような魅力的な文章を書けるようになっただろうか。今となっては、本当に愚かなお願いをしたとは思うが、彼のあのメールがあったからこそ、私はたくさんの素晴らしい作品に触れることができたし、貴重な体験や思い出もできた。

インターネットには、たくさんの情報が転がっている。もちろん、素晴らしいものもあるけれど、ほとんどは取るに足らない情報だ。インスタントで、消費される情報に溢れている。別にそれが悪いわけじゃないけれど、それは少し時間が経てば消えてしまうものだ。
本当に良い文章を書きたいのなら、素晴らしい作品や素晴らしい景色に出会い、たくさんの人に出会い、色々な経験をして、刺激を受け続けることだ。そして、感じて、考えて、感受性を磨き続けて欲しい。
そのためには、スマホやインターネットばかりやっていては駄目なのである。とにかく色んな本を読んだり、部屋から出ていろんな場所へ行っていろんな体験をしてほしい。世界をインターネットの中で完結させないで欲しい。
確かに、インターネットでも素晴らしい文章や作品に出会うことがある。この前、高橋源一郎さんのこの文章(ちょっと長いです)に触れて、久しぶりに心が震えた(高橋源一郎さんは、現存する作家で最も真摯に文体と向き合っている作家だと思う。『さようなら、ギャングたち』は現代日本文学における最高傑作)
けれども、やはり、圧倒的にインターネットを離れたところでこそ、感受性を磨く機会は多いと思っている。インターネットの世界は驚くほどに狭い。そして、現実の世界は驚くほどに広い。

 

大学生の時に、多くの作品に触れて、いろいろ悩んで、それでも自分の求めるレベルにどうしても達しなかったときに、この詩に出会って涙が止まらなかった。

『自分の感受性くらい』作:茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子集 言の葉2』より

 

未だに稚拙な文章を書く私が言っても説得力はないが、冒頭の弟子入りを断られて、その結果あのメールを貰うことがでたことは、本当に良かったと思っている。
スマホやパソコンを完全に断つのは、現実的に不可能だ。しかし、一日のうち少しだけでもネットから離れて、感受性を磨く時間を作って欲しい。

文章と真面目に向き合う人が一人でも多くなることを願って。

 

*1:山河拓也さんという人で、現在も活動中のはず。別名で活動してるかも