さようなら、憂鬱な木曜日

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さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

若者と旧世代の書き手たちで異なるブログの捉え方について/「ツール」と「場所」

ブログ

やぎろぐの八木さんを中心とした若い世代のブロガーたちが話題になっている。

年明けに大規模な新年会オフ会を開き、そこで繰り広げられた話がブログに関する小手先のテクニックだったとか、「ブロガーは格好悪いからメディアクリエイターって呼ぼうぜ」と言い出したとか(要するに、おっさんだせーってこと?)、色々なところで色々な言及がなされている。

彼らについては、批判的な意見から肯定的な意見まで様々あるが、私はこの一連の流れについて、微笑ましい気持ちで眺めている。大いに結構。若者はたくさん失敗すればいいし、たくさん恥をかけばいい。

それに、彼らの言動について、ここまでたくさんの人が様々な意見を寄せたということだけでも素晴らしいことだ。それは、彼らのエネルギーから端を発した潮流に他ならない。波風を立てるということは、それだけみんなから関心を引くような話題を提供したということです。

そして私は、彼らのことを、「ブログの捉え方」という観点から見て、とても興味深いと思った。それは、世代間における価値観の違いというものについて考えるきっかけとなった。

 

■若者たちのブログの捉え方

八木さんを代表とする若者たちは、ブログを現実世界を拡張するものとして捉えているような気がする。ブログは一種のコミュニケーションツールであり、SNSのひとつである。ブログを利用して、プライベートの幅を広げよう、人脈を広げよう、行動しよう、という姿勢が見える。だから、実名顔出しで、どんどんキャラクターを売っていく。サロンで交流を深めていく。彼らにとってブログはあくまでツールであって、別にそれはブログじゃなくてもいいのだと思う。だから、「ブロガーって格好悪いからメディアクリエイターって名乗ろう」などという発想が出てくる。
現実世界を拡張するものだから、もしブログから収益が発生して、それで暮していけるのであれば、死んだ魚の目をして満員電車に乗ることなんてしないで、ブログで生計を立てていきたいと考えるのは、ごく自然なことである。

 

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■旧世代の書き手たちにとってのブログ

それに対して、我々、旧世代の書き手たちは、ブログを現実世界から切り離した、分離独立したひとつの別世界として成り立たせようとしている。現実世界は現実世界で、しっかりと生き抜いて、飽くまで趣味として、別個の存在として、世界に発信できる自己表現の場として、充実させようとしている。それは、ツールではなく、現実世界とは離れたところに存在する「場所」であり、たかがブログといいながら、その“場所”を大切にしているような気がする。
もちろん、旧世代の書き手もオフ会に行ったりはするし、他の書き手と交流したりもする。しかし、それは現実世界とは一定程度離れたところで行われる行為であって、決して現実世界に侵食することはないし、侵食しないようにしている。

 

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■スマホ世代と箱型パソコンの世代

別にどちらの価値観が良いとか悪いとかの話ではない。ただ、そのような捉え方の違いがあって面白い、というだけの話だ。時代は移ろいゆくものだし、考え方も当然に変わってく。
そもそも、彼ら若者は、物心ついた時からインターネットがあって、中高生の頃には完全にネットがコミュニケーションツールとして普及していて、それが当たり前の環境で育ってきたわけだ。

我々のように、というかもう私の個人的な話に移行しつつあるが、箱みたいなパソコンで自分の文章が全世界に発信されて、しかもそれに対して見知らぬ誰かから反応が返ってくるという、世界がひっくり返るくらいの衝撃を受けた世代と、それが当たり前の世代とで、同じ価値観を共有しろという方が土台無理な話だ。
だから、そういう衝撃を受けた世代にとっては、ブログはかつてのテキストサイトの名残であり、現実世界とは独立した新たな自己表現のフィールドであり、自分だけの大切な“場所”としての認識を捨てきれないのだと思う。

旧世代の書き手たちの中にも、柔らかい頭を持って若い考え方を取り込める人は、どんどん現実世界を広げようとしているし、ちょうど中間ぐらいに位置する人もいるのだろう。

そういう意味では、私は旧世代の書き手のままであり、あり続けるのだろう。

 

■若者たちは、マラソンを走れるだろうか

ブログをマラソンに例えるなら、旧世代の我々は、は美しいフォームを追い求め、いかに速く走るかを考え、他者と競ってゴールを目指してきた。それはとても孤独な、自分との闘いだ。時折、他のランナーと会話したり、沿道からの応援に手を振って応えたりするけれど。

若者たちは、マラソンを走れるだろうか。スタート地点で「一緒に走ろうよ」と言って、横になりながら走る姿は想像できる。しかし、その後はどうするだろう。そのまま走り続けるだろうか。それとも、走るのをやめてカフェに入って談笑してしまうのだろうか。ブログが若者たちにとって「ツール」であるならば、それは「場所」よりも遥かに代替可能なパーツであろう。次々に新しい物が出てくる現代において、彼らがブログに留まり続けることはできるのだろうか。

 

参考記事

モテないし才能がないからブロガー辞める。俺はメディアクリエイターだ。 - 今日はこれを証明しようと思う。

メディアクリエイター否定派のおっさんたちに聞いてほしい話 - 半径3メートルの社会

愛のままにわがままに僕はメディアクリエイターを名乗る君だけを傷つけない。 - Everything you've ever Dreamed

若いの、そこは私達が十年以上前に通った道だ - シロクマの屑籠