さようなら、憂鬱な木曜日

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さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

「暇つぶし」という才能

エッセイ エッセイ-暇つぶし

私の勤めている会社は、年間24日の有給休暇が付与され、最大で48日間まで繰り越しが可能となっている。

つまり、48日を超えた有給休暇は切り捨てとなってしまうのだ。恐ろしい。

ある日、同僚が「有給休暇が5日切り捨てになってしまった」と言っていた。

つまり彼女は、期末時点で有給休暇の残日数が29日残っていたのだ。29日+24日=53日で、48日よりも5日間オーバーと言うわけだ。

私は、それを聞いた瞬間、驚愕した。

「え、あの、それは、どうして?どうして使わなかったの?切り捨てだよ?もう戻ってこないんだよ?いいの?君はそれでもいいの?」と詰問してしまった。

しかし彼女はケロッとした顔でこう言ったのだ。

「だって予定がないのに休みを取っても、することないんだもん」

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「休む理由がなければ有給は取らない」

彼女は客観的に見て、仕事をバリバリ頑張るタイプではない。能力はあるし、責任感も強いが、「社畜」と揶揄されるほどには仕事人間ではないし、「この仕事だるいわ~」と軽口を叩くぐらいの、心地いい意識の高低がある。

しかし、そんな彼女でも、「休む理由がなければ、有給は取らない」のである。

彼女は無趣味と言うわけではない。休日は休日で、楽しんでいるようである。彼氏もいるし、デートに行った話もよく聞く。

私には、彼女が有給休暇が切り捨てられたのに、ケロッとした顔でいられるのが不思議でたまらなかった。

 

暇つぶしという才能

そこで、そのことについて思慮していたのだが、ある一つの考えが浮かんだ。

もしかして、暇をつぶす才能と言うのは、すべての人が持っているわけじゃないのか?

つまり、予定もなしにぽーんと与えられた休暇というのは、逆に困る人もいるのではないだろうか、ということだ。

私は、休暇は問答無用に素晴らしいもので享受するものだ、と思い込んでいたが、もしかしたら全員がそうというわけではなくて、予定もなしに休むよりは仕事をやっていた方がマシ、と考える人もいるのではないか、と思ったのだ。

逆に言うと、予定もなしに自由な時間を与えられて、大はしゃぎできるのは、一種の「才能」ではないかと思えてきた。才能か、あるいは実力、センスと言ってもいい。

「暇つぶし」が苦手な人に、「暇つぶしの練習をしなさい」と言って、暇つぶしの能力が上がるとは考えにくい。

そうなると、やはり先天的なもの、個人の性質に近いものかな、と思う。

 

暇つぶしの才能に関するテスト

そこで、私は、暇つぶしの才能があるかどうか、というのを判断するためのテストを考えてみた。

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問:あなたは、街で友人と待ち合わせをしていましたが、友人から急に「今日は行けない」という連絡がありました。次の予定までは、あと3時間あります。どうしますか?

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私の答えはこうだ。

まず第一に、読書だ。私はこういう時のために、いつも何かしらの本を持ち歩いている。だから、喫茶店に行って、その本を読むことが考えられる。本屋があれば、本屋をブラブラするのも好きだ。本屋と言うのは何時間いても飽きない。

あるいは、モバイルPCを持っていれば、ブログを書くことも考えられる。書くネタなんてそこらじゅうに転がっている。「なぜ人は、急に予定をキャンセルするのか?」というタイトルの記事を書いてもいい。

ネット環境があるなら、お気に入りのブログを読みまわったり、ニュースサイトをサーフィンしたりしていれば、あっという間に時間は過ぎていく。最近はネットの動画コンテンツも充実しているから、観たいコンテンツはたくさんある。

近くに映画館があれば、映画館に入ってもいい。どうせ転がり込んだ3時間なんだから、外れの映画でも惜しくない。映画を2時間見て、その感想をブログに書いていたら、3時間なんてあっと言う間だ。

と言う感じで、3時間なんていくらでもつぶせる。

あなたの答えはどうだろうか。

すらすらといくつでも時間の使い方が浮かんできた人は、暇つぶしの才能があると言っていい。このブログを読んでいる人は、おそらくほとんどの人が暇つぶしの才能を持っているように思う。なんとなく。

 

一人が好きか、誰かといることが好きか

結局のところ、自分の持っている趣味が、「一人でできること」だったり「どこでもできること」であれば、暇つぶしの才能に直結するのではないか、と思ったが、どうもそうではないように思う。

趣味がどうこう、というよりも、「一人が好き」か「誰かといることが好き」かという区分の仕方の方がしっくり来る。

「一人でいることが好き」な人は、自然と暇つぶしの能力が身についていくし、どんどんその方面の趣味も広がっていく。

逆に、「誰かといることが好き」な人は、どこかへ行ったり、誰かと何かをしたりすることが好きなので、暇つぶしの才能を伸ばすことは難しい。暇つぶしの才能とは引き換えに、コミュニケーション能力や協調性は伸びていくのかもしれない。

感覚的には、女性の方が「暇つぶし」が苦手な人が多いように感じる。

 

時間に縛られているからこそ、解放された時に心地いい

それからもう一つ感じるのは、抑圧された環境だからこそ、たまにできた暇が愛おしく感じるのだろう、ということだ。

会社員で、ある程度時間に縛られている身だからこそ、自由になれる時間が心地よい。

たまーに長期休暇を取ったりすると、休みの最後の方はさすがに「そろそろ仕事したいなぁ」と思ってくる。社畜とは程遠い私のような人間でさえ。

定年退職して毎日が休日になった人が書いているブログがあって、私はいつも楽しみに読んでいる。その方のブログを読んでいると、毎日が休日と言うのも、それはそれで悩みがあるようだ。

仕事をしている頃は、決められた一本道を歩いていけばよかったのですが、今は道のない砂漠に一人残されたような気がする時もあります。

道は、自分で作っていかなければならないのです。

これはある意味では、かなりの苦労を伴うことかもしれません。

(引用:こんなリタイアは、人に勧められるか - そしがやのリタイア日記

確かに、365日自分の好きなことをやっていい、というのはなかなか難しいと思う。

ゆるく縛られながらも、自分の好きなことをやれる時間が十分にとれる、というのが理想だが、そんな都合のいい話はそうそうないものです。

 

暇つぶしの道は奥が深い。