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爆笑問題の大学受験エピソード「試験官を野次る受験生と草野球のユニフォームで来る男」

爆笑問題 爆笑問題-爆笑問題の大学受験エピソード

爆笑問題の太田光と田中裕二は、江古田にある日本大学芸術学部で出会った。

対象的な高校生活を送ってきた二人が、あのキャンパスで邂逅し、その後爆笑問題を結成することになる。この邂逅は奇跡だ。太田は田中が居なければ世に出ることはなかっただろうし、田中は太田がいなければ、コンビニの店長で終わっていたかもしれない。

 

■日芸受験時の太田と田中

田中裕二はテレビ局のアナウンサーになるのが夢だったので、現役の時は早稲田大学などの有名大学を受験したが、全て落ちて留年した。早稲田大学に至っては、受験日を間違えて、受験さえ出来なかった。

浪人した田中裕二が、翌年の受験、日大芸術学部の筆記試験会場へ行くと、試験教室の教壇に立って、意味不明な演説をしている奴がいた。それが太田光だった。

太田は試験官が教室に入ってきて、試験の準備や説明をしている時も、「やめちまえコノヤロー!」などと試験官を野次るなど、破茶目茶やっていた。

それを見て田中は、「ああ、こいつ落ちるだろうな…」と思ったという。しかし、そういう田中の方も、試験の前に早朝草野球をやってから来ており、野球のユニフォームのまま試験会場に来ていてかなり目立っていた。それを見た太田光は、「なんか野球のユニフォーム来てる奴がいる。あいつ、落ちるだろうな…」と思ったらしい。

日大芸術学部は、1次試験が筆記で、2次試験は実技試験。

実技試験で、太田は「浪花恋しぐれ」を熱唱。田中は、近藤真彦(マッチ)のモノマネをして、二人とも合格した。

入学当日、田中が大学のトイレに入ると、太田がいた。筆記試験での傍若無人な振る舞いを観ていた田中は「え!?あんた、受かったの!?」と驚いて声をかけ、それから友達になった。

 

■田中裕二の高校時代

田中裕二は超人気者。井草高校という高校に通っていたが、『ミスター井草高校』に選ばれるほどの人気ぶり。

裕二くん→ゆうくん→うーくん→うーぱん(パンが好きだから)とアダ名が遷移して、最終的にはウーチャカというわけのわからないアダ名になった。50歳になった今でも芸人仲間からからかわれてウーチャカと呼ばれることがある。

校内放送では『ウーチャカ大放送』という自主制作ラジオを放送。オールナイトニッポン気取りのラジオ番組で、絶大な人気を博した。芸人になった後、その痛さ加減を散々馬鹿にされることになる。

 

■太田光の高校時代

一方、田中裕二とは対照的に、これ以上ないほど暗い高校生活を送った太田光。

入学から他人と話すタイミングをつかめず、友達が一人も居ないまま高校3年間を過ごす。

友達が一人も居ないにもかかわらず、高校3年間皆勤賞。理由は「休んでいる間に陰口を言われるのが嫌だった」とのこと。

授業の間の休み時間はやることがないので、ずっと机に突っ伏して寝たふりをしていた。

演劇部に所属していたが、部員は太田一人。唯一の発表である文化祭では一人芝居をやったが、観客は部活の顧問一人のみ。その顧問も、途中で居眠りしていたらしい…(文化祭二日目はもっとお客さんが入った)。

修学旅行では、同じグループになった班員が太田を疎ましく感じ、観光の最中に巻かれるという痛ましい事案が発生。太田は仕方なく喫茶店に入って、持ってきた本をひたすら読んでいた。

体育の授業のラグビーでは、太田がボールを持つと、誰も近寄ることが出来ず、トライを連発。近寄れなかったのは、太田に友達がおらず、誰も関わろうとしなかったから。しかし、トライを連発する太田を見て、後に花園の優勝監督となるラグビー部の顧問から「ラグビー部に来ないか?」と誘われた(と太田は語っている)。

 

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