さようなら、憂鬱な木曜日

さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

「有名人を見るとサインをもらいに群がる行為」が理解できない

街や空港で、スポーツ選手や芸能人が一般人に囲まれて、サインをねだられている光景を、テレビなどでよく見る。ありふれた光景だ。彼らは、有名人を見ると、とにかくサインをねだる。まるで、それが挨拶であるかのように、「サインください」とせがむ。

私はこの光景を見ると、毎回思う。サインってそんなに欲しいですか

サインをもらう行為には、大きく分けて2種類のパターンがあると思う。

1つは、本当にその人の大ファンで、その人のサインが欲しい場合。

もう1つは、別に対してファンでもないけど、有名人が近くにいたからとりあえずもらっておく場合。

私は、正直どちらの行為に対しても疑問を感じてしまう。

****

印象的な出来事が思い浮かぶ。

私が小学生の頃、一部地域の子供たちが集まって、割と大規模な何かしらのイベントが開催された。いったい何をやったのかは忘れてしまったのだが、そこにある有名人のgストが来た。

若い人はわからないかもしれないが、昔少しテレビに出ていたケント・デリカットさんという外国人タレントだ。

私にとって、生で見た初めての有名人は、このケント・デリカットさんかもしれない。ケントさんに対して特別な思い入れがあったわけではないが、テレビで見たことのある人が目の前にいるというのは、なんだか変な感じがしたのを覚えている。

とにかく、我々の前にケント・デリカットさんが現れて、そのイベントで何かをしゃべって、イベントは終わった。

イベントが終わると、会場の出口に人だかりができていた。

何かなと思って行ってみると、大勢の小学生たちがケント・デリカットさんを囲んでいた。彼らは「サインください!」と言って、紙とペンをケントさんに差し出していた。

私はこの光景に、強烈な違和感を感じたことを今でも覚えている。

「(お前らは、ケント・デリカットのサインを本当に欲しいと思っているのか?)」

私には、彼ら同年代の小学生たちが、「有名人を見たらとにかくサインをもらう」という常識にとらわれ、それを演じているように見えた。心からケントさんのサインを欲しいと思っている子供がどれほどいただろうか。

ケントさんに罪はない。ケントさんにカリスマ性がないとか、人気がないとか、そういうことを言っているわけではない。

しかし、子供たちが、当時のケントさんに対して、心からサインをもらいたいと思っていたとは、到底考えられないのである。

彼らは、「有名人にサインをもらう行為」を通して、少し大人になったつもりでいたのではないだろうか。

****

サインをもらいに群がるのは、子供だけではない。

大人だって、社会人だって、有名人を見たら、まるで刷り込まれたかのようにサインをせがむ。

サインください、サインください、って。あのさぁ。もらってどうするの?

私は、「サインをもらう」という行為がまったく理解できない。

私にだって、大好きなスポーツ選手や芸能人はいる。

例えば、イチローや本田圭佑や爆笑問題は、もうずっとずっと好きで、大ファンと言っても過言ではない。

しかし、私は、彼らを目の前にしても、サインをもらいたいとは思わない。話しかけられる距離や空間にあっても、サインをねだろうとは思わない。

なぜ思わないのか?それは、サインをもらうという行為に何の意味もないからだ

もしかしたら、一部の人は、もらったサインを大切に保管して、良い思い出になるのかもしれない。

「俺ぁ子供の頃、ケント・デリカットにサインをもらったんだよぉ。ほらこれ見てみ」

と言って、自分の子供に自慢話でもするのかもしれない。そういう人は、それでいいのだろう。

****

そもそも私は、例えば大ファンの人であっても、そもそも会いたいという感情がない。会いたいと思わない。

東京事変に「スーパースター」という曲がある。

この曲の歌詞は、椎名林檎さんが、メジャーリーガーのイチローを想い書いた歌詞である。その一部を引用したい。

私はあなたの強く光る眼(まなこ)思い出すけれど

もしも逢えたとして喜べないよ

か弱い今日の私では厭(いや)だ

明日はあなたを燃やす炎に向き合うこゝろが欲しいよ

もしも逢えたときは誇れる様に

テレビのなかのあなた

私のスーパースター

私はこの曲を聞いたときに、泣きそうになってしまった。

おこがましいことだが、私は椎名林檎さんがイチローに想うようなことと同じことを思っている。

私が好きな人や尊敬する人に会いたくないのは、「自分がまだその人に向き合えるほどの人物になっていない」ということの証左なのだろう。

だから、もし近くにいても、会ってもどうしようもないし、ましてやサインをもらうという行為など無意味どころか、自分の価値に限界ラインを引いてしまって、それ以上その人には近づけないと自らが烙印を押していることに等しいと感じている。

だから、椎名林檎さんが、イチロー選手に対して思っていることは痛いほどわかるし、この曲は、私の心の中にすっと入ってきて、感情を揺さぶったのだ。

****

それと同時に、私はイチローや爆笑問題に、死ぬまで会えなくたっていいと思っている。

私とイチローや爆笑問題の距離感は今のままで良いと思っている。別に、近づかなくたっていい。会えなくたっていい。話せなくたっていい。今のままで十分だ。

今のままでも彼らは私の生活の中で、すごく重要な位置を占めているし、生きる活力をもらっている。彼らの生き様を見たり、プレーやTVやラジオでの姿を見るだけで、頑張ろうと想える。落ち込んだ時に爆笑問題のラジオを聴くだけで、ヒットを打つイチローを見るだけで心がすっと晴れる。

それだけで、十分なのだ。私は、その距離感が壊れてしまうほうが怖い。サインなんて全然いらない。