さようなら、憂鬱な木曜日

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さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

とんかつは世界で一番素晴らしい!とんかつ定食、カツ丼、カツカレーの魅力とは

グルメ グルメ-とんかつ

私はとんかつが好きだ。いや、むしろ愛している。

とんかつが日本にあって良かった。もし、日本にとんかつがなかったら本当に悲しかった。今やどの国の料理でも日本にいれば食べることができるが、とんかつが日本発祥で本当に良かった。とても誇らしい。そして、世界に誇るべきだと思う。世界でまだとんかつを食べたことのない人に、死ぬまでに一度は絶対に食べてほしい。日本にはこんなに素晴らしい料理があるんだよ、と。東京オリンピックなんかやってる場合じゃない。とんかつオリンピックこそ開催するべきだ。とんかつの魅力をもっと世界にアピールしていくべきなのである。

さて、それでは、とんかつの魅力を語っていきたいと思う。

 

とんかつ定食

とんかつ定食というのは、とんかつを食べる上での基本姿勢である。オススメは、とんかつ専門の定食屋、有名所で言うととんかつ和幸(どこにでもある)などだ。

とんかつ定食は素晴らしい。お膳が運ばれてくると、まず揚げたての衣の香ばしい匂いに包まれる。そして、その美しさ。金色の衣はキラキラに輝いている。そしてその隣にどっさりと盛られたキャベツの千切り。とんかつ定食はキャベツの千切りがあってこそ際立つ。

その景観を十分に楽しんだら、まずはレモンに手を取ろう。端っこの二切れぐらいにそっとレモンの果汁をかける。そして、箸を手に取り、とんかつを口に運ぶ。豚肉からはみ出す肉汁、最高の音を立てて割れる衣、口の中に突き刺さってちょっと痛い衣さえ愛おしい。レモンの酸っぱさと抜群の相性を奏でるとんかつで、まずは一切れ二切れ。次はもちろんソースである。ソースの壺を手にとって、適当な量を金色の芸術品にかける。ソースで食べるとんかつは、口の中で暴れだす。豚肉と衣とソースが、それぞれを主張し合い、大変なことになる。しかし、私はそれを微笑みながら見ている。そんな暴れん坊でさえ愛おしい。ソースをある程度楽しんだら、皿の箸にある美しい黄色の物に目を向けよう。辛子である。とんかつに辛子というのが、また合う。適当な量をちょんっとつけて、口へ運ぶ。辛子は最初は控えめだ。まるで居ないかのように口の中で振る舞う。しかし、とんかつとソースの登場が一段落したあとに、まるで落語家の真打ち登場みたいなノリでやってきて、口の中を大爆笑させていく。まさに職人である。

ご飯は、とんかつを口の中で飲み込んでから食べるべきだ。決して、とんかつが口の中にある状態で、ご飯をかきこんではいけない。それは、とんかつに対する礼儀である。最低限のマナーである。

とんかつとの遊興に少し疲れたら、キャベツの千切りを見よう。山盛りに盛られたその緑の大山に、ドレッシングをかける。ドレッシングは少しでいい。あまりかけると、キャベツの良さが失われる。ドレッシングをかけたら、箸で出来る限りつまんで、大盛りを口の中へどっさり入れる。きっと食べられるはずだ。キャベツはとても優しい。暴れまわったとんかつとはまた違って、一種のやすらぎを与えてくれる。そうこうしているうちに、山盛りだったキャベツは、どんどんなくなっていく。とんかつ定食を食べていると、まるで自分はキャベツの千切りを食べに来たような感覚になる。それほど、大盛りだったキャベツの千切りは、跡形もなく消えていく。

ある程度、とんかつ・キャベツとの片がついたら、お味噌汁である。とんかつ定食には、しじみの味噌汁だ。海鮮のだしが、これまた合う。口の中で、新しい劇場が開幕する。この時に、本当に幸せを感じる。とんかつを食べているときは、そのあまりの感動に、正常な思考はできない。無我夢中で食べている。キャベツも、大口を開けて無心に食べる。だからこそ、しじみの味噌汁の時は、冷静になって「今、自分は、とんかつ定食を食べているんだなあ」と幸せに浸ることが出来る。

キャベツの千切りと、しじみの味噌汁は、おかわり自由だ。

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(出典:http://tabelog.com/shizuoka/A2202/A220201/22016675/

 

カツ丼

まず私はとんかつを卵でとじる、という偉業を成し遂げた人に敬意を評したい。まさに偉業である。神業である。とんかつを卵で閉じた時に発生するロマンは、何者にも代えがたい。

カツ丼が運ばれた来た時に、やはり目を奪うのは、その黄色い卵である。白身のなかにまだらに描かれる黄色い流線、そして、その下に鎮座するとんかつ。もうたまらない。頂点には水々しいみどりの三つ葉。この三つ葉が本当に良い味を出す。

まずは丼を左手で持つ。この丼は非常に思い。何しろ、丼いっぱいのご飯に卵で閉じたとんかつが入っているのだ。無理もない。

カツ丼のとんかつは、しなっとしている。卵に包まれて、やや力を失っているように見える。しかし、実際はそんなことはない。むしろ、さらに強力なパワーを持って、口の中に広がる。

蕎麦屋のカツ丼がなぜうまいのか。それは、そばに使うダシが、カツ丼のとじ卵と相性抜群だからである。最高のとじ卵でとじたとんかつは、ガンダムとかあんまり知らないけど、モビルスーツ的なものを身にまとったアムロ・レイ的なものだと思う。

カツ丼における主役は、正直なところとんかつではない。むしろ、衣と卵が織りなすまるでオペラのような芸術性である。あのとじ卵と衣だけで、すでにグラミー賞受賞レベルにある。それほどまでに素晴らしい。なぜ、あんなことができるのだろう。まったく、常人の計り知れない部分である。

よきところで、三つ葉と一緒にカツ丼を食べる。これがまた良い。大森林の中で吸う空気のように、透き通っていて、体の中に浸透する。ちょっとした苦味も良い。カツ丼にこれほどまでに合う草が、果たして存在するだろうか。

丼を空にした時、私は短い夢を見ていたような気分に陥る。それほど幸せを感じることが出来る。

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(出典:http://hitosara.com/

 

カツカレー

カツ丼の組み合わせは偉業である、と書いたが、カツとカレーの組み合わせを考えた人に、私はノーベル賞を送りたい。ノーベル平和賞を送りたい。電球や電話、相対性理論と並ぶほどの発明である。それほどまでに、人間の生活に影響を及ぼしたカツカレー。

とんかつ、カレー、それぞれ単体でも最高に美味しいこの二者を組み合わせるというまさに天才しか考えつかないような発想。私は本当に涙がでるほど、この発明に感謝したい。

カツにカレーがかかった時、それはまったく別物になる。すっぴんで田舎者だったカツはカレーをまとった瞬間、化粧をして垢抜けた都会の女になる。

カレーがかかったカツに対して、今までの田舎者のように接してはいけない。こちらが火傷をする。都会の女に接するように、上品に扱わなければならない。

カツカレーを食べるとき、まずは、カツを一口サイズに切る。そして、スプーンに、カレーのかかったカツとご飯ののせて、大きな口を開けて頬張る。口の中で、ディズニーランドとユニバーサルスタジオジャパンが完成する(意味不明)。

カツカレーはこの繰り返しである。カツを切って、ご飯と一緒に口へ運ぶ。どんどん運ぶ。ただ運ぶだけ。それなのに、全然飽きない。途中で味を変えようなんて思わない。もうカツカレーだけでいい。カツカレーがあれば幸せなのだ。カツカレーがあれば、何もいらない。

私がどうしてカツカレーにここまで惹かれるのか。私にはわからない。とんかつにカレーをかけただけじゃないか、と思うかもしれない。しかし、逆に聞きたいのだが、とんかつにカレーをかけただけなのに、どうしてここまで美味しくなるのだろうか

最初にカツにカレーをかけた人は、安易な気持ちだったのかもしれない。ただ、単にかけてみよう、というだけだったのかもしれない。しかし、それはとんでもないモンスターを生み出してしまった。カツカレーという、日本に君臨する最強の料理を。私は、カツカレーが生まれてきたことに日々感謝し、毎日を過ごすのである。

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(出典:http://matome.naver.jp/odai/2134867623127368501