さようなら、憂鬱な木曜日

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サラリーマンの投資ログなど

あのさぁ、もういい加減他人に道訊くの止めてくれませんか?

今日、駅前に買い物に行ったら、交番で道を聞いている人がいました。40代くらいの男性。

やれやれ、と思いました。

現代において、まだ他人に道を訊く種類の人間というものが、一定数存在することについて、私は深い呆れの念を抱かざるを得ないのです。

 

あのね、スマホで調べろよ、と。

スマホで住所打てば、現在地からその住所までナビが出てくるだろう、と。ナビ機能を使わなくても、googleマップなどの地図で、大体の目安はつくでしょう。

自分で調べる気があるなら、目的地に着くことなど、容易いのです。

しかし、その労力を怠って、他人に頼って道を訊くその甘さに、私は本当に我慢なりません。

当事者同士は、訊く方も教える方も、何の疑問もなく、そのやり取りを日常のワンシーンとして処理しているのかもしれません。

しかし、ただ傍観している、まったく関係のない私にとって、その光景を見ることはストレスになるのです

 

スマホを持ってない人もいる?

あのですね、現代において、スマホを持っていない人なんて、相当の変わり者なんですよ。

会社でも50代のおじさんで、スマホを持ってない人なんてほとんどいない。

おじいちゃんおばあちゃんだって持っている(使いこなせているかどうかは別として)。

もはや、スマホは、インフラと等しいんです。水道や、電気やガスと同じです。

この時代に、「水道契約してないんですよ」っていう人がいたら、相当変な人ですよね。

ガス契約してないからお風呂に入れないんですよ~」って言って、周囲に悪臭まき散らしている人がいたら、迷惑ですよね?

スマホも同じです。

「スマホを持ってない」っていうのは、言い訳になりません。

これが田舎の僻地だったら話は別ですよ?私も田舎のおじいちゃんおばあちゃんに「スマホで自分で調べろ」とか鬼畜なことは言いません。

 

話が少しそれましたが、私が憤っているのは、「スマホを持っているにも関わらず、そのスマホを使わないで、他人に頼り、他人にコミュニケーションコストを負わせ、その恩恵を安易に享受しようとする人」です。

そういう人は、きっと、何でも他人に頼るのでしょう。

「まず自分で調べる」ということができない。

 

私の会社にもいます。「何でも他人に訊く人」というのが。

その人は、疑問に思ったら、まず真っ先に他人に訊くのです。

それは、ある一面から見れば、良いこともあります。社内のコミュニケーションが円滑になったり、自分で調べるよりも、スピーディに仕事を終えることができるかもしれません。

しかし、自分で調べて、裏を取ることをせずに、他人に頼って、他人任せにして、下手をすれば他人に責任を負わせるような行為を続けている人には、未来はないのです。

 

これは、「すべてを自分でやれ」と言っているわけではありません。

サイバーセキュリティ担当大臣が「パソコンを触らない」ということで批判されていましたが、あんなのはアホらしいです。トップが自分の手を煩わせる必要はありません。そういうのは部下がやればいいんです。あれを叩いているのは、何もわかっていない馬鹿です

そういう話ではなく、「何か問題にぶち当たった時に、まず真っ先に自分で解決しようとすること」の重要性の話です。

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実は、私は何年か前に、都内を歩いていたら、やはり40代くらいのおばさんに道を訊かれました。

「あのー、〇〇通りってどうやって行けばいいんですか?」

私はかなりイラっと来ました。

いやいや、あなたは私と何の関係性もありませんよね。たまたま同じ時間に、同じ場所にいただけですよね。そんな関係性で、どうして厚かましくも「道を訊く」ことができるのでしょう。

その配慮のなさに、私はイラっと来ました。

スマホ持ってないんですか?

私は怒気を交えながら答えました。相手はびっくりしていました。

なんでこの人は道を訊いただけなのに、こんなに怒っているんだろう)という顔をしていました。

私自身、その〇〇通りを知らなかったというのもありますし、この「他人に道を訊く行為」の愚かさに対して、何年も考えていたからかもしれません。かなりの怒気を持って、その人に接していたと思います。

そのおばさんは、まるで変人を見るかのような目で私を見つめ、しばらくするとどこかへ去っていきました。

 

現代において、見境なく他人に話しかける行為には危険を伴います。私のように少し頭のおかしい人に当たってしまう場合もあります。何か事件に巻き込まれる可能性もあります。

だからこそ、道を調べるくらい、自分でやってほしいんです。やる気さえあれば、自分で解決できる問題なのですから。